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うまきちの『勝手にかわら版』


「うまきち」が日頃思うところを 書いていきます
by Umakichi10
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地震と浦河

 ウマキチさんは 一度地震のお話をしておきたいのです、
ウマキチさんは 年齢不詳なのですが、1952年に起きた
第一回十勝沖地震を子供の頃でありますが、体験してます、
地震と浦河_e0080544_0294123.jpg
お話しましょう。
余りに強烈な揺れでありました、あの時幼稚園の建物の中でした、一階から二階にあがるべく階段を駆け足で上っていたのです、二階に上がり切ったその時でした、激震がきたのです、気が付いた時一階の床に倒れていたのです、転げ落ちたのです、子供の身体なので何の余念もなく階段を転げ落ちたのでケガがなかったのでしょうね、写真をご覧になれば幾分感じて頂けるでしょうか、地震後子供の目で見た記憶によると地面に亀裂が入り、家屋の雨戸や戸板などははずれて投げ出されト状態なのです、近所の人達は一時津波の
危険があるため小高い山に避難もしたのです、倒壊した建物は掲載した写真です、
写真は浦河神社、浦河小学校、常盤町、2丁目の様子です。

地震と浦河_e0080544_22542790.jpg















地震と浦河_e0080544_22573167.jpg
















地震と浦河_e0080544_2332812.jpg

上記3枚の写真が1952年の一回目の十勝沖地震の浦河町の被害の様子です。
以下は浦河測候所発行の「日高地方の地震・津波」を参考に 当地をおそった地震
や津波の事をはなします。

1933年(昭和8年) 昭和三陸地震津波
震源地は三陸沖 マグニチュード8.1 東北地方の宮古や仙台などで震度5でした、
津波は30分ご来襲、東北地方では死者1500人の被害であった、
浦河は震度4でした、日高沿岸の津波の高さは14,2m~2.7mでした。

この地震の意味するところは 津波が発生した時リアス式海岸つまり出入りの
複雑な海岸線に押し寄せて来る波の怖さです、平坦な海岸に津波が来ると波は
平均化されるのですが、湾や切れ込んだ地形の所は波が一点に集中します、
自然の恐ろしさですね。

1952年(昭和27年) 1952年十勝沖地震
3月4日 10時22分 震源地は釧路沖 マグニチュード8.2
震度 5は 浦河 帯広 釧路でした、津波は浦河で2mでした,
最初にウマキチさんがお話ししたのが、この地震です。

1960年(昭和35年) チリ地震津波
5月23日04時11分(日本時間)
南米チリの国のチリ沖で、マグニチュード8.5の地震がありました、
津波がはっせしたのです、太平洋に面してる国は大なり小なり
影響がありました、日本も北海道から沖縄までの太平洋沿岸いに津波が来襲
し各地で大きな被害が発生したのです、

日高沿岸の津波の高さは2~3mでした、津波の高さは驚くほどではないのですが、
ウマキチさんが津波の恐ろしさを知ったのがこの地震の津波なのです、
町内にはこの時の浦河港の様子を見ていた人達がたくさんいるはずです。

 浦河港の港内の海水が沖合いに引き潮のように引いていったのです、
港内の浅瀬部分の底が現れてしまったそうです、引き潮となった波は
押し寄せてくるのです、寄せて来た波の高さですが、防波堤の高さや
航路標識灯の高さなどの推定から最低5mそれ以上の高さと思われます、
つづく・・・・・・・

by umakichi10 | 2006-08-17 00:16 | 街の話
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